例えば人間は小さな細胞の集合体、でそれぞれの細胞の欲求に対し、脳という集合体が自分たちを生かすために何をしたらよいか、というものを判断し、分析し、欲求に応えている。と言う例が有ります。
例えば粘菌、彼ら、とここで言いますが、これは粘菌が小さな個体の集まりであることを言っています。それぞれがそれぞれに何が必要であるかを判断し、集合体に取って有益な行動を取っている。
これは人間にも言えることで、物凄い視野を広げてみた時に人間も粘菌と同じように、全体に取って何が有益か、を判断し動いていると言えます。社会というシステムは生物の仕組みと全く同じで、その国という個体の中で犯罪者、や犯罪者集団等社会に取っての病気と言われている部分を排除したりする仕組みが有ります。
これを生物の全く同じ仕組みに例えるならば、白血球と呼ばれる自衛プロセスがそれに当たるんではないでしょうか。
それらは体、と言う国を守るために、脳から下された命令を聞き怪我で有ればそこへ行き、修復したり、外的であれば排除をする。
僕の中で知性というものはそれぞれの伝達関係を自身だけではなく、国を生かすために 進化させたものなのではないだろうか、と考えています。
ただ、人間が他の生き物と違ったり、優れている点は、その国自身が国を修復したり、国同士で修復し合ったり出来る、というものだと思っています。それは他の知能が高いと言われている動物にも言えることではないでしょうか。
彼らは団体としての利益を追求することもあるけれども、それぞれがそれぞれの持つ能力でたったの1個体であれ、国として機能させることも出来る。そして、それぞれが生まれ持った欲求だけでなく、2次欲求すらも持ち合わせている。
その一つが、自分の体にとって何のメリットもないこと、自己犠牲が出来る事だろうと考えています。体のもたらす欲求を超えて個々の精神的欲求が一人歩き出来る。
さて、今の話では僕が何を言いたいのかと言うのは分かっては来ない上に、タイトルとは繋がらないと思います。
そして、ここからが本題になります。金融面だけを見ていては変えられない社会、なぜ金融面だけを見ていては社会は変えられないのでしょうか。それは現人間の特性にあります。
人間は個々が国として成り立つように全く他の生き物とは別の進化を遂げた生き物であることを述べたと思います。
現代社会では集団的な利益を追求しすぎているシステムであるが為に個々の個体が持つ進化の可能性を潰してしまっていると言えるでしょう。個々の欲求の形はネットの普及によってより深いものとなっています。
人間は選択を出来る生き物です。集合意識体になってしまってはそれは人間が人間として本来持っている才能を全くの逆方向に退化させてしまっているのでは無いでしょうか、と僕は危惧しています。
そこで僕が現状を良い方向に変えるための対策は、個々が独立出来る個人への資本を社会が提供することではないかと思います。
ただ、これは現状の打開策であって、いずれはまた別の方向に進化させなければいけない策だと思っています。個人個人がそれぞれと取引をする資本を得られれば経済は全く違った 可視化されより生活になじむモノになると考えています。
その上で人間の体に例えるなら、ガン細胞、つまり犯罪者を排除するシステムを行う人間や、それぞれの細胞にに機能を与える教師の様な役割を行うものが最も不利を産む物になってしまいます。
日本はIT関連でAIの着手はしていない様なのですが、それは置いておいて今の国に最も必要なのは、自動で社会の不利益となる人間を判断するシステム、そして、それぞれの生まれから個人の道しるべや幸福度合いを判断するシステムです。
人間は情に流され、物事を行ってしまったり、他人に誹謗中傷された時に傷ついてしまう点があり、社会の統括を行うための担い手として不十分だと言えます。そもそも集団無意識である集合体を個体がまとめあげる事自体が無謀なことです。
その分、コンピューターに社会の統括を任せた場合、人は一種のあきらめがつくのでは無いでしょうか。完璧な判断システムは国そのものの人の情とは切り離された意識体として、社会システムに取って何が有益かを判断し行ってくれる現状最良の手段だと言えます。
ただ、人間の進化に社会システムの進化が追いついていないがために、この様な状態を作り出してしまっているのではないでしょうか。
現代社会がネットを取り入れて以来、人の欲求は物欲より、精神的な情報の欲求に形が変わってきています。物の形は形を失い、人間が新たに手に入れた繋がりの社会の中で、より精神的で幅広い繋がりを求めるように成って来ています。
以上を踏まえて僕が提示したい策は
AI技術の進歩、教育をより個人的に、AI技術を利用した教育の推進、コンピューターを基盤をした社会。消費物の生産の完全自動化
そして現状生まれてしまっている人間はそれぞれが個々の資産を作り出し、それぞれの自由に消費を行うこと。
未来のために物事を進めなければ、未来に否定されます。どこでどう生きるかはそれぞれの自由ですが、このまま変わらなければ現状は更に悪化して行き、ほんの数年、今いる人間が生きている内に見るに堪えない物に変わっているかも知れません。
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